ブログでサッカーの話をします
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23:35:34
先日、湯浅健二氏の「なぜ日本人はシュートを打たないのか?」を読み終えました。


単純に、シュートを打ちたがらない心理的な要素を切り口に話を広げるかと思いきや、湯浅氏のドイツ留学時代の経験を元に記されており、2002年以降の日本代表監督の手腕に触れながら自論を展開する内容。

いやはや、僅か230ページ足らずでしたが、非常に濃い内容で面白かったです。


閑話休題

少し前に2004年の回顧録をお送りしましたが、続いて2005年の回顧録をお送りします。


内容としては
・レイナス最後の試合から第一クール終盤まで
・第二クールから岡山国体まで
・山郷の復帰から2005シーズン終了まで
の全3回を予定してます。

まあ、濃い内容で長くなると思いますが、前回に続き「青年A」の視点で、どうぞ~。
【予兆】
2004年の12月。
レイナスは「練習会」と称して入団テストを実施。

2005年の2月にも同様の会を実施。
Aは2回とも見学した。

この練習会に参加していたメンバーには、現在浦女に所属の保坂のどか、松田典子、そしてジェフ千葉レディースの清水由香がいる。

松田は今でこそサイドをスピードで走る印象が強いが、この頃はドリブルテクニックを感じるドリブラー。
重心が低く力強いプレーを見せてくれた保坂とは対極的だった。

清水はオフ・ザ・ボールに優れたサイドアタッカー。
足の速さもさながらボールを受ける位置が抜群に上手く、入団は確定と思わせるほどだった。


思い返せば、この頃から何かがおかしかった。
不在の山郷と森と梅川。コーチを務めていた永留。

2005年度の体制が見えつつある中、不在だった選手が印象に残った。


【移管】
忘れもしない2005年2月24日。Aは仲間の電話で飛び起きた。
電話の内容を疑いながら、目ボケ眼にパソコンを起動させて「浦和レッズを議論するページ(以降:浦議)」へ移動する。

さいたまレイナスの浦和レッズ移管が決定!

浦議内の「さいたまレイナスを語ろう」という掲示板で様々な議論がなされていた。
当日は『レッズを語る会』の開催日当日だったため、Aは仲間と共に『語る会』へと赴いた。

語る会では浦和レッズの話を中心に様々な話題がなされた。
そして、司会の大野勢太郎氏がついにレイナスを話題に挙げる。

犬飼社長(当時)は言い切った。「レイナスではない。浦和レッズです」と。
大野氏が話を広げる。

レイナスのマスコットキャラクターの消滅、新監督の招致など、話は進み徐々に収斂していった。


会が終わり、今後どうするか秋田氏と話をする。何も決まらない。
別の日にAは浦和レッズへ抗議の電話もした(勿論相手にされなかったが。。。)


もうどうにもならない


ただそれだけだった。


【了】
2005年3月19日

Aは福島県にいた。

YKKAPからチームが東京電力に移管。本拠地も宮城から福島へ移り、チーム名もYKKAPフラッパーズから東京電力女子サッカー部マリーゼ(以降:マリーゼ)に変更。
そんな生まれ変わったチームの初お目見え試合の相手に、前年度女王のレイナスが選ばれたのだ。

マリーゼの初試合。それは、レイナス最後の試合でもあった。

試合は0-2でレイナスの勝利。
勝利に何の意味もない。レイナスが終わる
ただただそれだけだった

そして2005年3月31日。レイナス最後の練習が行われた。


【浦和レッズ・レディースとREINISTA】
2005年3月18日。小金丸、保坂、松田、待井、吉田の加入が発表された。

そして、2005年4月1日。浦和レッズ・レディース発足の記者会見が開かれ、坂庭監督・新田部長・チームキャプテン高橋彩子・安藤梢が会見に臨んだ。

その二日後になでしこスーパーカップが開催。
2004年度のリーグ王者と選手権王者の試合。
要は、浦和レッズレディースの初陣日テレ・ベレーザとなったのだ。

試合は若林のシュートのこぼれ球を安藤が押し込み先制。高橋のFKで追加点を奪う。
しかし、大野に2得点を許し決着はPK戦へと委ねられた。

5人全員が決めたベレーザに対し、岩倉が小野寺にシュートを止められてしまった浦女。
スコアこそ引き分けだったが、結果は黒星だった。


試合後、サポーター有志が集い、秋田氏を代表兼コールリーダーとするサポーティングクルー『REINISTA』が発足する。
Aも発足時に場におり、メンバーに加入した。


【リーグ戦開幕】
一週間後の4月10日。ついにリーグ開幕を迎えた。

相手はTASAKIペルーレ。前年は何とか勝利を勝ち取った相手である。
この日の観客は約2000人。Aを含め多くの来場者が見たのは、TASAKIに翻弄される浦女だった。

サポーターグループも駒場の雛壇に陣取り、翻弄される選手達をサポートした。
しかし、声援を送って好転するような状況ではなかった。

結果は0-2の敗戦。スコアこそ開いていないが内容は完全にTASAKI。
REINISTAの初サポート試合は何も出来ないまま終わってしまった。

ちょうど一週間前にベレーザと好ゲームを演じたチームとはとても思えない。
それだけこの日の浦女は肯定できる部分が見当たらなかった。


この日の試合後、サポーター有志で前監督である田口氏を招いた慰労会を開催した。
そして、この日に正式に『REINISTA』を発足。今後に臨む事となった。


【屈辱の駒場】
開幕戦で敗戦を喫した浦女。
第2節はアウェイの岡山戦。
一部のサポーターが遠征したのみで、Aを含めて多くのサポーターが結果待ちであった。

結果は2-3の勝利。
遠征した仲間の情報では、裏を取られて失点を喫したものの自力の差を見せて3得点、との事だった。

そこからAは浦女が遠征する場所へ次々と足を運んだ。

第3節は駒場で高槻戦。5-1で快勝。

第4節は神戸ユニバで宝塚バニーズ(現:バニーズ京都FC)と試合。
この日は1日で2試合する日程となっており、1試合目はTASAKI―ベレーザ。

一進一退の攻防だったが、酒井(旧姓:加藤)の負傷でバランスを崩したベレーザをTASAKIが攻めきれず引き分けた。

この結果、バニーズに勝利すれば首位に立つ。
モチベーションのままにバニーズを1-3で一蹴。首位で駒場へ帰還した。


2005年5月3日。
神戸ユニバでの勝利により、ベレーザを首位で迎え撃つ事になった浦女。
この日、各試合で見せていた綻びが姿を現し、チームが崩壊する。

笠嶋(現:ASエルフェン狭山)の復帰で頼もしくなったDF陣。
しかし、開始早々に失点。その後も失点を繰り返し折り返しで0-3。後半もAらの願い空しく0-4。
合計0-7で大敗を喫した。

単純な実力差だった。

2004年までは必死に食らいつき一丸となる事で対等に戦えるまでにはなっていた。
しかし、田口氏という求心力を失った浦女に以前のレイナス時代のまとまりはない。
まとまりに欠けたチームは個々人で戦うしか術を持たなかった。


大敗。しかも駒場での大敗。

浦女の状態、置かれている状況が顕在化し、チームもサポも現実を嫌と言うほど思い知らされた。

―――――――――

3分の1でこの長さ。
どんだけって話ですが。


2回あった練習会のエピソードは、恐らく今は俺くらいしか分かるやつがいないでしょう。
特に、12月の練習会は練習後に選手が事件に巻き込まれて本当に驚きと怒りばかりでした。

このときに俺の仲間は松田を安藤に似ていると言ってました。影武者疑惑はこの頃からですねw
当の本人は、プロフィール写真で必死に目を大きく見せる努力をしている普通の女の子で、化粧なれしていない安藤とは対照的でしたw

上の長い文章にもありますが、この頃の松田はテクニシャンタイプだと記憶しています。
初出場の時はドリブルで相手を次々とかわしシュートを打ったらポスト、というめっさ凄いプレーを見せてくれました。

今は自己診断に失敗して自分の可能性を狭めている印象です。このままでは不味いですね。


保坂は2005年に坂庭さんが起用する事が多かったです。
重心の低さからの力強いプレーに当時は非常に驚きました。今は慣れましたけどw

プレーの凄さの他に、その身長にも驚きました。
その頃、チーム一小さかった法師人よりも小さい。
それだけでインパクトは十分でした。


続いてサポートグループ『REINISTA』。

サポーターグループの結成には色々な理由があります。
それでも最終的に皆の意見が一致したのは


選手達が好きだから応援する


というサポートの原点に立ち返るものでした。

そこから色々とあったんですが自粛しますw


さて、そろそろ試合に触れていきましょう。

なでしこスーパーカップはもうないので取りたかったですね。
彩子さんのFKが決まった時には勝ったと思ったのですが。。。
本当にサッカーは怖いです。

リーグ戦に関してはベレーザ戦の0-7が全てを物語っていました。

開幕のTASAKI戦から何となく感じていた違和感
それが全て悪い方向に進み課題が顕在化したのがベレーザ戦。

この大敗があるからこそ、ベレーザ戦での初勝利は本当に嬉しかったですね。
っと、これは後日ですねw


兎角、クラブ自体もチームもサポも混乱していた
そんな2005年のスタートでした。


続きはまた。
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